仮面ライダーストライフ 先行公開用リンク

仮面ライダーストライフの先行公開用ページです。

第一話 Broken future

「昔々、あるところに暴れん坊の神様、ストライフがいました」

 母親が絵本を読み始めると、その兄弟はきらりと目を輝かせた。

「彼は色んな場所で暴れ回って物を壊し、人々にとても嫌われていました。しかし、ある日のこと。世界を飲み込んでしまおうとする悪い神様、ケイオスが現れ、街を襲い始めました。人々は一生懸命に立ち向かいましたが、流石に神様には手も足も出ません。そこで彼らは、暴れん坊だったストライフに鎧を仕立て、『ケイオスを倒して欲しい』と頼み込みました。ストライフは暴れん坊の自分が誰かに頼られた事に大層喜び、鎧を受け取ると、ケイオスのことをあっと言う間に倒してしまいました。人々は喜び、ストライフもまた喜びました」

「ストライフは暴れん坊だったけど、これでみんなと仲直りできたのかな」

 ベッドのそばで絵本を読み聞かせる母親に、無垢な心で少年は質問を投げかける。

「そうだねぇ。仲直りできたら、そりゃ一番良かったんだろうね。けれど、人々はストライフが暴れていたことを、これだけじゃすぐには許せなかったんだ」

「そうなの? だって、みんなのことを助けてくれたんだよ?」

 今度は先ほど質問した少年の弟が、掛け布団から小さな頭を覗かせた。だがまだ身体の小ささのせいで、殆ど布団に埋もれている。

「うん。確かにストライフはみんなのことを助けてくれたね。でも、今までずーっと暴れん坊だったストライフが、鎧まで手に入れたんだよ? また暴れ出したら怖い、って思うのも無理はないでしょ? だから、ストライフも人々によって鎧と一緒に、小さな箱の中に鍵をかけて封じ込められちゃったの」

「そんな、ストライフがかわいそうだよ。だって、助けてって言ったのはみんなの方なのに」

 弟が訴えるように呟く。

「でも、ストライフはストライフで今まで暴れてきたんだから、ちょっと仕方ない気もする……な」

 一方、少年は眉間に皺を寄せて考え込んでしまった。母親はそんな二人を優しく撫でると、微笑みながら語りかける。

「2人とも違う答えが出たよね。どっちが正しいとか、どっちが悪いとかはちゃんと分からないでしょ? きっと、このお話が伝えたい事って、そこだと思うの」

「んーと……どういうこと?」

 少年達はキョトンとした目で、変わらず母親を見つめている。

「今の世の中って、すぐ人の行動だけ見て『良い人』『悪い人』を決めようとする人がたくさんいるの。でも、誰だって良いところがあれば、悪いところもある。さっきの神さまや人々も一緒。みんな全部持っていて、それが見え隠れしてるだけ。だから、たとえ相手が悪い事をしたって、頭ごなしにその人を否定しないであげて。悪い事は悪い事。でも、それだけでその人の人生全てが悪かったかといえば、それは違うと思う。難しい事よ、難しい事だけど、いつかどんな人でも受け入れてあげられる、大きな人になってね」

 母親の眼差しは、優しく、まっすぐに二人を見つめている。

「……よくわからないや」

 弟の方は、大きく欠伸をして布団に潜り込んだ。長話に飽きて、既に眠そうだ。

「ふふふ、ちょっと難しいお話だったね。さ、そろそろ寝よっか」

「うん。おやすみ、母さん」

 電灯が消え、弟の寝息が聞こえるほど静まった部屋。少年は、先ほどの母親の言葉が、妙に頭から離れなかった。

「どんな人でも受け入れる……か」

***

 時は流れ、少年――真凱 凛斗しんがい りんとは齢21の青年となり、大学に通いながら、父親の空手道場にて指導員として活動する日々を送っていた。

「いいか、脱力した状態から……号令と同時にこう『パッ!』と出せるように。見えたか? 力を抜いた状態から入んなきゃダメだ。んじゃ、いくぞ」

「1、2、3……」

 道場内に響き渡る威勢の良い掛け声とともに、教え子たちは拳を振るう。凛斗はまだ若いが、指導力には既に一定の評判がある。

「さて、と。では次は……」

 凛斗が次の型の指導に移ろうとすると、彼の父親――真凱 啓治しんがい けいじが部屋の戸を叩いた。

「おい、凛斗! 珍しいお客さんが来てる。後の指導は受け持つから、行ってこい」

「珍しい客? 俺に?」

 凛斗は不思議そうに首を傾げる。珍しい客と言われても、パッと頭に浮かぶような人物はいない。

「じゃなきゃ声かけないだろ」

「そりゃそうか。じゃあ後は頼んだよ、父さん」

「おう、任せろ」

 凛斗が道場の入り口に向かうと、そこでは一人の男が俯きながら待っていた。

 彼の名は上坂 亮二うえさか りょうじ。凛斗の同期で、その世代では頭一つ抜けた空手の実力を持っていた男である。

「久しぶりだな。数年ぶりか? 元気そうじゃねぇか」

「お前……最近まるで顔見せなかったじゃねぇか。急にどうしたよ」

「いや何、ちょっとした野暮用さ」

「あぁ……? まぁいいや、上がりなよ」

 凛斗は亮二を奥の部屋へと案内すると、お互い向かい合ってどっかりと座った。亮二はあぐらをかきながら、部屋中を舐めるように見渡している。

「懐かしいな」

「お前がここを出てからもう4年か。みんなびっくりしたもんだぜ、お前がやめるって言った時は」

 亮二の片眉がピクリと動く。

「お前はみんなが認めるほどの天才だったからな、試合でもほとんど負けなしだったし……」

「……その話、まだ続けるかい」

 亮二が低い声で唸った。鋭い眼光が、凛斗の皮膚に突き刺さる。

「あ……悪い、気に障ったかな」

「俺はもう空手はしないって言っただろ。それに今は、親父の工場の手伝いで忙しいんだ。それどころじゃない」

 凛斗は苦笑したが、亮二の表情は硬いままである。部屋中が、段々と重苦しい空気で満たされていく。

「えっと、じゃあ……お前は一体なんの用でここに来たんだ?」

「いや、実は昨日よ、知り合いから面白いもの貰ってな」
 
 そう言うと、亮二はバッグに手を突っ込んで、いくつかの錆びついたガラクタを取り出した。相当古いもののようで、机に置くと破片がいくつかこぼれ落ちた。

「おわ、汚っ」

「ボロボロだから洗うに洗えなかったんだよ。……んで、この形状に何か見覚えは?」

 凛斗は机の上のそれをマジマジと眺めた。錆の塊のような長方形の箱、そしてエジプト十字を模したような、手のひら大の何か。確かにうっすらとだが、凛斗にはこれを何処かでこれを見た記憶があった。

「これ、まさか……ストライフの話に出てきた箱と鍵か?!」

 凛斗は、母親がよく読みかせてくれた絵本を思い出していた。幼少期とはいえ何度もせがんで読んでもらったので、ある程度なら絵の内容も覚えている。

「エジプト十字型の鍵見て思い出したよ、特徴的でよく覚えてたからな。へぇ〜、錆だらけだけどよくできてんなぁ……」

「どこで貰ったんだか作ったんだか知らんが、押し付けられて持て余しててさ。お前が好きだったの思い出して持ってきたんだ。ガキの頃から、俺といる時は何かにつけストライフ神話の話をしてたからな。よかったらやるよ」

「マジで?! いいの?!」

 凛斗は子供のようにはしゃいでいる。

「あぁ。どうせなら、好きな奴が持ってた方がいいからな。ボロいし、扱いには気をつけろよ」

「了解。わざわざありがとな、亮二」

 無邪気に笑う凛斗。その姿を見つめる亮二に、一瞬だけ苦しそうな笑みが浮かんだ。

「おう。……またな」

 彼はそのまま、振り向かずに駆けて行った。

 亮二が去った後、凛斗はしばらくストライフの箱に食いついていた。

「やっぱ出来がいいな……誰が作ったんだろ。こういうグッズが出てるなんて、聞いた事なかったけど。何処かの熱心なマニアが、個人的に作ったのかも」

 凛斗は軍手をはめると、その箱をゆっくりと持ち上げてみた。ガワだけではなく殆どが金属製の様で、かなり重量感がある。

「すげぇ、裏の模様までしっかり描いてある。こりゃ大事にしないとな……あ」

 箱が、落ちた。

 それも床ではない、体内へと、落ちた。

 しっかりと掴んでいたはずの箱が、手をするりと通り抜けて自分の体へと落ちて行ったのだ。体には異物感はないが、突然の現象に冷や汗だけが溢れ出てくる。

「え……え?」

 困惑するほか、現状彼ができる感情表現のレパートリーは存在しない。いや、彼でなくとも、こんな場面に出くわせば誰であろうと困惑する。

「おーい、そろそろ戻って来い!」

「あっ」

 呆然とした意識を引き戻したのは、父親の声だった。慌てて汗を拭うと、頬を叩いて自分を正気に戻す。

「今、行くよ」

 返事の声は、いつもより少し小さかった。

***

 ――さて。あれを、どうすべきか。

「……んせい」

 ――あいつに事情を話すか? いや、信じて貰えないだろ、あんな事……。

「……先生」

 ――病院行って、レントゲン撮るか? いやいや、もしあれが見つかったら大騒ぎだろ。やっぱり、これは俺だけの秘密にしておいた方が……

「先生!」

「うぉっ?!」

 教え子からの呼びかけに気づき、思わず尻餅を着きそうになる。凛斗は、あれからずっとこんな調子だった。

「先生、しっかりしてよ。具合悪いの?」

「いや、大丈夫だ。悪いことしたな。さて、じゃあ次の型に移ろうか……っと、あいつはまたいないのか?」

 凛斗が言うあいつとは、金谷 未来かなたに みらいという教え子の一人である。サボり癖があり、最近は稽古を途中で抜け出すことも多い。

「未来のこと? あいつなら先生がぼーっとしてる間に抜けていったよ」

「あー……、やっちまった」

 誤魔化すように凛斗が頭を掻くと、追い討ちをかけるように啓治が肩に手を当てた。

「あぁ、やっちまったな」

「げ、父さん。見てたのかよ」

「仕事が手に付かないならお前にやらせてる意味がないからな。しょうがない、今日はもう全部俺が持つから、責任持ってあいつの事呼んでこい。ほら、ちんたらしない!」

「分かったってば」

 言われるがままに道場を後にする凛斗。玄関を出ると、外はすっかり闇に落ちていた。

「多分……またあそこだな」

 凛斗はそう呟くと、道場の裏手にある、小さな公園へと向かった。わずかな電灯に照らされたベンチに、小さな人影が見える。

「お、いたいた。やっぱりここだったか」

「……来たんだ、もう諦めたかと思ったのに」

 その小さな人影、もとい未来は、怪訝そうな顔で凛斗の方を向いた。

「んな嫌そうな顔しなくたっていいだろ」

「だって嫌だもん」

「なんだ、俺がか?」

「……ううん、稽古が。まぁ先生もちょっとあるけど」

「おい」

 未来は、暗い表情で遠くを見つめていた。凛斗は、ベンチに腰掛けて近寄ると、落ち着いた声で話しかける。

「今まですぐ呼び戻しちゃってちゃんと聞けてなかったけどさ……どうしてそんなに稽古が嫌なんだ?」

「だって、僕は別に空手好きじゃないもん」

 未来は頬を膨らませた。

「わざわざ道場入ったのにか?」

「お母さんが、入れって。何か一つぐらい習い事しといた方がいいから、って」

「あはは、なるほどな。そりゃあ嫌なわけだ。興味もないものを、無理矢理やらされたところで、楽しいわけがない」

 凛斗がカラカラと笑い飛ばすと、未来は不思議そうな顔をした。

「……怒らないんだ」

「あぁ、怒らないさ。怒ったら君はますます空手が嫌いになるだろ。俺の仕事は、みんなに空手を好きになってもらう事だからな」

 凛斗は不意に立ち上がると、未来の前に立ちはだかった。

「未来、ちょっと俺を殴ってみろ」

「え?」

 あまりに唐突な凛斗の申し出に、未来は思わず狼狽えた。

「いいから、ほら、どんと来い」

「よく分かんないけど……えい!」

 未来の小さな拳が、凛斗の大きな体へと放たれる。凛斗は即座に鋭い身のこなしで拳を弾くと、未来の目の前へと瞬時に手刀を振り下ろした。 

「速かったろ」

「……すごい」

 未来は、ただただ呆気に取られていた。

「空手ってのは護身の為の武術としての一面がある。沖縄空手なんかは、その代表的な例だな」

「護身……」

「要は空手ってのは、守るための武術だってことさ。誰かを傷つけるための武術じゃない。たとえ弱くても、何か大事なものを守るために作られた、人間の知恵の賜物なんだ」

「ちょっと大袈裟じゃない?」

「いいや、決して大袈裟なんかじゃないさ。一生のうちに、何か大切なものを守れたら、きっとかっこいいぜ」

 一瞬、未来から笑みが溢れる。

「フフ、ニヤけてるぞ。かっこいいのは好きか、未来?」

「あ……うん」

 未来は急いで口角を引き戻すと、顔を真っ赤にして頷いた。

「俺も好きだぜ、カッコいいのは。だから、空手が好きなんだ。誰も傷つけないで、みんなを守れる。みんなが幸せになれる競技だって、俺は本気で信じてるよ」

 凛斗はそう言ってしゃがみ込むと、そっと未来の頭を撫でた。未来がくすぐったそうに頭を押さえる。

「それじゃ、戻るか。夜一人でいるのは危ないんだからな、もうするなよ」

「もし危なくなったら、先生が守ってくれるんでしょ?」

 不意を突かれるような言葉に、凛斗は硬直した。

「え……あ、当たり前だろ! なんだ、急に照れる事言うなよ」

「えへへ」

 未来が、今度は思い切り笑んだ。それはこの夜空に瞬く星々や、さっきまで彼を照らしていた電灯よりも、ずっとずっと明るい笑みだった。

***

 稽古が終わり、子供達が帰路についた頃。凛斗は啓治と二人で、家に帰る支度をしていた。

「……なぁ、凛斗。お前、疲れてないか?」

 啓治が、少し心配そうに話しかける。

「急にどうしたよ、父さん」

「さっきの件だよ。お前、『心ここに在らず』だったろ」

「それは……」

 凛斗は開きかけた口を、慌ててきつく窄めた。

 ――言えないよな、父さんには。

 ほんの僅かでもアレがただのガラクタであったのなら、どれだけ凛斗の心は楽だっただろうか。

「母さんが病気で倒れてから、お前に家の事を手伝わせる事が多くなってしまったからな。疲れてても、おかしくはない」

「……うん」

 凛斗の母――真凱 凪沙しんがい なぎさは、一年ほど前に重い病で倒れ、今は病院で入院生活を送っている。元々道場の事務作業は凪沙の仕事だったため、結果として凛斗は20歳という若さで家業を継ぐこととなった(ただ本人曰く、「遅かれ早かれ継ぐつもりだった」とのことだが)。

「別に疲れてるわけじゃないよ。心配させてごめんね、父さん」

「あぁ、何もないならいいんだ」

 啓治は、そのまま片付けの続きを始めた。その隣には、少しだけ安堵した表情の凛斗が立っていた。

 帰宅すると、凛斗の弟――真凱 東しんがい あずまが、恨めしそうな顔で二人を待っていた。

「ただいま〜……あっ」

「あっ、じゃないよ。随分遅かったね。もう20時近いよ? ……お腹空いちゃった」

 東が腹を押さえると、タイミングよく腹の虫が鳴った。凛斗が耐えきれず吹き出す。その横で、啓治が気まずそうな顔で東に話しかけた。
 
「おう……色々話してたら、すっかり遅くなっちゃってな。何か適当に食べれば良かったのに」

「受験勉強でそれどこじゃないってば」

「……そうだったな。まぁいい、急いで何か作るからちょっと待ってろ」

 啓治が駆け足で台所に向かった隙を見て、東が凛斗に話しかける。

「ねぇ、兄さん疲れてない?」

 凛斗は再度吹き出しかけた。

「なんだ、今日の俺はそんなに疲れてるように見えるのか」

「見える。だって、口角がいつもより下がってるもん」

 凛斗が反射的に口角に指を当てる。

「……マジ?」 

「うん、マジ。兄さんが何か思い詰めてる時って、いつもその顔になるからさ」

「……東、流石にちょっと怖いぞ」

 思わず凛斗が苦笑いをした瞬間、キッチンから啓治の声が飛んできた。

「二人とも、ちょっとは飯の準備手伝ってくれ! あ痛っ、指切った!」

「オイオイ、何やってるんだよ父さん! 仕方ない、行こうぜ、東」

「……うん、行こうか」

 歯車は、一つ欠けただけで全ての流れを狂わせる。真凱家の空気は、明るい様で何処か重たかった。

***

 一週間後、道場では相変わらず威勢の良い掛け声が響き渡っていた。そしてその中には、未来の姿もあった。

「未来、お前随分と上達が早いな。とても始めて一週間とは思えないよ」

 凛斗が感心していると、未来が照れ臭そうに頭を掻いた。

「そうでもないよ。僕はみんなより遅れてるから、頑張らなくちゃ」

「その心意気やよし、だな。じゃあどんどんやっていこう!」

「1、2、3……」

 再び教え子の掛け声が響き出す。その中でも一層に大きな声を上げる未来を見て、凛斗はうっすらと涙を浮かべていた。

 時の流れは速く、時計の針は既に終了時刻の19時を示していた。

「おっと、もうこんな時間か。じゃあみんな、今日はここまでだ。よく頑張ったな、礼!」

 挨拶をし終えた瞬間、1人の少年が着替えもせずそそくさと帰って行った。未来だった。

「あっ! あいつ、今日も……」

 数日前から、未来はこの調子だった。初めは空気に馴染めなかったからかと思い気にしていなかったが、流石に連日続けば気がかりになる。

「なぁ、父さん。ちょっと片付け頼んでいい?」

「ん……構わないが、何かあったのか?」

「未来、いつもすぐ帰っちゃうから。様子見に行くだけ」

「そうか。あんまり遅くなるなよ」

 玄関を開けると、時間の割に空が明るかった。蒸し暑い空気が、自分の道着を更にベタつかせる。

「さて、まぁ行き先は決まってるよな……」

 凛斗がたどり着いた場所は、かつて未来がサボる度に来ていた公園だった。そしてそこには、1人で拳を振るう未来の姿があった。

「未来、お前……」

 凛斗が声をかけると、未来は驚いた様子で、そのまま逃げる様にして走り去った。

「おい、ちょっと待て!」

 凛斗が追いかけると、未来はつまづいて転んでしまった。

「おい、大丈夫か! 何も逃げる事はないじゃないかよ、な?」

「ごめんなさい……」

「心配しなくても、怒らないからさ。みんなに追いつきたくて、コソ練した事は俺もあるし。でも、夜1人でいるのは危ないって言ったろ? だから今度からは……」

 だんだんと、未来の目が潤んできた。

「おっとっと、泣かなくていいんだよ。それとも、転んだ時に怪我しちゃったかな?」

「違う……」

「……へ?」

 よく見ると、潤んだ未来の目は、凛斗を見ていなかった。

 凛斗の、背後を見ていた。

「ばけもの」

 震えた声で、未来は凛斗の後ろを指さした。

「……化け物だって?」

 瞬間、凛斗の体は大きく吹き飛ばされた。公園の金網フェンスに全身を強打し、背中全体が悲鳴を上げる。

「何……が……起きた……」

 突然の出来事に頭が回らない。ただ、ぼやけた視界の先に、確かに未来が「化け物」と形容した何かが蠢いているのが見える。

「何だよ……あれ……」
 
 肉が膨張した様な、不安定な体型をしたその怪物は、ゆっくり、ゆっくりと、怯える未来へと近づいていく。

「おい……やめろ……やめろ!! そいつには手を出すな!!」

 這いつくばった我が身を動かそうと、必死に体に力を込める凛斗。しかし、声を上げたくなるほどの鋭い痛みが邪魔をする。

「あぁ……畜生……。動けよ……動け……!! 未来が危ないんだよ、自分の体なんか今はどうでもいいだろ!! 痛いとか言ってる場合じゃないんだよ!!」

 立ち上がり、よろめき、再び立ち上がり、よろめき。あと一歩、届かない。

「動けえェェ!!」

 叫びだけが、曇天に染み渡った。

 後に残ったのは、体から血を流す未来と、絶望に震える凛斗と、それを見下ろす怪物だけだった。

「あ……あぁ……」

 喉の奥から、悲痛な呻き声が転げ出た。

『もし危なくなったら、先生が守ってくれるんでしょ?』

 未来の無邪気な笑顔が、脳裏に浮かぶ。

 ――俺は、約束も、未来も、守れなかった。

「俺が、助けてさえいれば」

 後悔が、打撲した背筋のあざをなぞる。

「許さない……」

 その言葉を、口走った瞬間。

 一瞬にして、眩い光と凄まじいソニックブームが、凛斗を包み込んだ。行き場のない悲しみが、悔しさが、怒りが、一気に溢れ出た。

 少し、間があった。

 凛斗が我に帰ると、怪物は既に動かなくなっていた。周囲には、池のように血や肉片が飛び散っている。

「これは……」

 荒い息を立て、凛斗はそっと自分の体に触れた。

 ――冷たい。

 体が、鎧のようなもので覆われている。腰には、あの錆だらけだった箱が、絵本で見た姿を取り戻し、ベルトとなって巻きついている。そして手には、怪物のものと思しき血痕がベッタリとついていた。

 ここで初めて、彼は自分の身に起きている変化と、あの怪物を自分が倒した事に気がついた。だが、大した驚きはなかった。

 「救急車、呼ばなきゃ」

 今、彼の最優先事項は、未来。あとは全て、二の次。それだけだった。

***

「……死んだのか、アイツは」

 口髭を蓄えたワイルドな風貌の男――不知火 誠しらぬい まことは、大きくタバコの煙を吐いた。口が大きいせいか、部屋一帯が煙だらけになる。

「えぇ、ほとんど一方的に殺されてますね。まだ鎧の能力も解放していなかったはずなのに、大したものです」

 眼鏡姿の理知的な青年――塚谷 燿馬つかや ようまは、スマートフォンに送られてきた動画を幾度もリプレイしては何かをメモしている。画面の中では、鎧に包まれた凛斗が、未来を襲った怪物に何度も拳を振り下ろしていた。

「兄上の計画に疑念を持つつもりはありませんが、この調子だとこちらがアレを完成させる前に、彼が鎧を使いこなしてしまうというリスクはないのですか……?」

 恐る恐る、真面目そうな青年――塚谷 貴志つかや たかしが声を上げた。

「むしろ使いこなしてもらわないと困るのですよ。でなければストライフの鎧の性能を、明確にデータ化する事ができませんから」

「なるほど……」

 感心する貴志を尻目に、誠は虚な目を空に向けてタバコを吸った。

「ま、お前が何しようと、俺はこれでもう後には戻れなくなったわけだ。言う通り動いてやるから、せいぜい上手く頼むぜ」

 誠はそう言うと、ゆっくりと立ち上がって去っていった。

「えぇ、もちろん。貴方には期待しているのですから。さて……これから頑張ってもらいますよ、真凱 凛斗くん」

 燿馬は、妖しげに画面を見つめていた。

***

『昨夜、〇〇県△△市にある空手道場付近の路上で、小学生の男子児童が、何者かに襲われ重傷を負う事件がありました。警察は犯人の特定を急ぐと共に、事件当時の現場の状況の把握を迅速に進めているとのことです。現場一帯にはおびただしい量の血痕が残されており……』

「どのチャンネルもずっとこの話題ですね。すみません……思い出したくもないでしょうに」

 凛斗は、病院の一室で眠る未来の顔を覗き込みながら、彼の母親に頭を下げていた。

「よして下さい、先生が駆けつけてくださらなければ、この子はどうなっていたか分かりません。本当に、なんてお礼をしたら……」

「いいえ……私は……」

 凛斗は唇を強く噛み締めた。

 あの事件の直後、凛斗は道場に傷だらけの未来を運び込んでいた。啓治や、駆けつけた警察からは質問攻めにあったが、どのみち説明しても理解されないと思い、「通り魔にやられた」とだけ話した。全てが終わると、凛斗は凄まじい疲労に襲われて、そのまま倒れるように眠った。

 翌日、彼は東と啓治がまだ起きないうちから、半狂乱気味で未来の病室へと向かった。扉を開けるとそこには、全身を血の滲んだ包帯で巻かれた、痛々しい姿の少年が寝そべっていた。

「……未来……か?」

「先生……」

 今にも消えて無くなりそうな声で、未来は凛斗のことを呼んだ。凛斗は近くにいた彼の母親に、かぶりつく様に問いかける。

「金谷さん……!! 未来くんは……」

「先生、落ち着いてください、先生! 未来は、命に別状はないと、お医者様の方から話がありました。ただ、その……」

「その……?」

 凛斗が言葉の続きを待っていると、ベッドからか細い掠れた声で、そっと未来が告げた。

「僕、もう、空手できないんだって……」

 すでにもう何十回も、泣いたのであろう。か細くなったその声は、凛斗の胸の奥深くを、鍵爪のように深く、強く抉った。直後、何かの栓が抜けたかの如く、凛斗の眼からは涙が漏れ出た。彼には、それ以外何も出来なかった。

「酷い骨折で、後遺症もたくさん残るだろうって、言われました。この先、どうすれば未来が幸せになれるのか、今は何も分からなくて……」

 ――俺の、俺のせいだ。

 凛斗はただひたすらに自分を責めた。あの怪物をなぶり殺した以上、この行き場のない怒りの矛先は、もう自分しか残っていなかった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 呪詛のように、凛斗はその言葉を繰り返していた。

 そして今、現在へと至る。
 凛斗は未来の母親と話しながら、盲目的に未来の頭を優しく撫でていた。
 
「未来くんは、みんなに追いつこうと、自分なりに頑張っていただけなんです。未来くんは何一つ悪くない。これは、全て私の監督責任です。だからどうか、未来くんを責めないであげてください」

「先生……」

「……それじゃ、私はこれで。父や弟に黙って来ちゃったので、早く帰らないと」

 凛斗は立ち上がると、不安定な足取りで扉のドアノブに手をかける。すると、寝ていたはずの未来が、優しく呼び止めてきた。振り向くと、凛斗を慰めるかのように、彼はそっと微笑んだ。

「先生、ありがとう」

 ドアノブを握る手が一瞬、震えた。

「……また来ますね」

 それ以上は、何も言わなかった。

***

 晴れた空の下。
 一人の青年が、空を仰いでいた。
 
 差し込む日差しが、堪らなく眩しかった。